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第19章 デフレ経済と構造改革の時代へ

目次

デフレ経済の荒波

「価格破壊・自己責任」という言葉が世に出てからと思われるが、日本はデフレ経済への道を辿りはじめた。デイスカウントショップ・百円ショップが出たころ怪訝な眼差しで眺めた人が多かったが今や当り前の時代になっていた。

小泉内閣が発足したのが平成13年4月。「構造改革なくして景気回復なし」のスローガンのもと郵政民営化・道路公団民営化など様々な論議の中で構造改革を推し進めた。国の財政再建をめざした国債発行枠を30兆円に抑え、金融機関が抱える不良債権処理の加速など日本経済を根底から再建する構造改革に取り組んだ。だが、これは国民の痛みを伴うものであった。デフレ経済の急速な進行と完全失業率の増大を招き、企業は、金融機関から早期の借入金返済を迫られ、「貸し渋り」「貸し剥がし」の言葉も一般化していた。

経済は生き物である。日本経済は世界経済と連動し、企業の製造部門は人件費の安い東南アジア・中国などへ移され企業の空洞化とも言われていた。

常に相関関係にある「原価と価格」は、こうした背景のもとに熾烈な価格競争を生じ、価格破壊そしてデフレへと進行するのは必然的なものであったのかも知れない。政府はデフレ経済の克服に取組みはじめているが、世界はさらに大きな荒波に直面していった。

平成13年9月11日、米国で旅客機4機が乗っ取られ2機はニューヨークの世界貿易センタービル2棟に激突、世界経済の象徴ともいわれた建物が瞬時に崩壊し4,700人以上の死亡・行方不明者が生じた。かってない大惨事の発生は、世界の人々を驚愕させた。

この大事件を契機として、10月7日に米英軍がアフガニスタンを攻撃し制圧、さらに平成15年3月21日には、米英軍によるイラク戦争が勃発し世界経済及び日本経済への悪影響が懸念された。

日本経済は、深刻なデフレ経済の最中にある。この戦争が早期に終結し経済の低迷を一日も早く脱することがいま強く望まれている。

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バス事業の模索

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時代は激動し、不透明・不確実が確実ともいえる経営環境の中で企業は、大企業、中小企業を問わず生き残りへの道を模索し続けていた。

公共交通といわれるバス事業とて同じであった。貸切バス事業は、激安パックの煽りをうけ営業収入は年々減少を続けていた。

規制緩和は、貸切バス事業者の新規参入を招き、規制緩和直前の平成12年1月末現在の既存事業者は128社(貸切バス事業者の協会加盟会員数94社)であったが、平成15年2月末までに82社が新規参入して貸切バス事業者は208社となり、事業者数で約62%が増加した。これによって価格競争は、ますます激化していた。

また、協会加盟会社の輸送人員の推移をみると、平成12年3月の有珠山噴火の影響や観光客の海外志向などもあり、平成11年16,824千人、平成12年度15,265千人、平成13年度15,047千人と減少していた。

平成12年1月に二階俊博運輸大臣が提唱した「日中文化観光交流使節団2000」(団長:平山郁夫画伯)の訪中は、5,600人の大型ミッションの派遣となり、21世紀に向けた日中観光交流時代の幕開けにふさわしい画期的なものであった。

5月18日から21日までの日程で中国政府機関、中日友好協会、現地の日系旅行会社等の表敬訪問などが行われた。

とくに、5月20日の中国人民大会堂において挙行された日中交流式典では、江沢民国家主席など政府要人を招き二階俊博運輸大臣をはじめとする使節団との国際親善交流が深められ、21世紀の日中文化観光交流の新たな歴史のページが開かれた。

平成10年11月、江沢民国家主席が北海道を訪れて以来、中国と北海道の絆が結ばれたが、北海道からは、藤井章治副知事をはじめ23名が北海道使節団(道バス協会から菊池哲男専務理事が参加)として訪中した。折りしも、北海道は有珠山噴火の風評被害により影響が甚大でこの対策に苦慮していたので、これを機に北海道観光地全体は安全であるので、中国の人々が安心して来道し北海道の文化・観光に接し相互理解を深めるようPRを行った。

北海道の観光は、国内のみならず海外とりわけ中国・東南アジアとの繋がりを確かなものにして行かなければならないだろう。

この魅力あふれる観光北海道に、官民一体となった新しい発想をも加え、大勢の観光客を迎える方策を如何にして樹立し実践していくかが、また問われはじめている。

一方、乗合バス事業は、生活交通の確保について地方公共団体がより主体的に関与する補助制度となることもあって、平成10年頃から試行錯誤しながら様々な実験が行われ始めていた。

平成10年、くしろバス(株)は規制緩和に先駆けて都心部商店街連絡会と連携し、釧路市内の中心街を通る循環バス「くるりん」号を運行した。

観光名所や駅前など一周約4.6キロを30分間隔で巡回するもので、平成13年から100円に有料化するまで貸切バスによる無料運賃で実施していた。

そもそも地域循環型のバス運行は、道内では穂別町の「ふれあいバス」に始まり、その後各地での実験がスタートした。また、100円バスの運行も道内各地に広がっていた。

平成13年3月、北海道地方交通審議会は、北海道における公共交通機関の維持整備に関する計画(北海道新世紀公共交通ビジョン)について答申を行ったが、そのなかで自治体・事業者によって行われている道内の取組み事例を紹介した。今後さらに新しい発想による活性化策が展開されるであろうが、参考までこれらの事例一覧を掲載しておこう。

[事例一覧]

地域内交通分野
  1. ふれあいバス(勇払郡穂別町)どうなん交通(株)に運行委託。平成10年4月から町の全ての集落と病院・公共施設を結ぶ町内総合交通ネットワーク。
  2. 標津町営バス(標津郡標津町)平成11年4月から阿寒バス(株)に町内の路線運行を委託し、同社の運行がない時間帯に新たに福祉センターや病院をまわる市街循環路線と町内郊外路線を無料運行。
  3. 当別町循環バス(石狩郡当別町)町民のニーズや行動パターンを把握するため町民アンケートを実施。この結果をもとに平成12年8月循環バス実験運行を実施。
  4. 音更町コミュニテイバス(河東郡音更町)十勝バス(株)・北海道拓殖バス(株)が事業主体となり、市街地と医療・公共施設などを巡回するマイクロバス路線を平成12年4月から10ケ月間の試験運行。・栗山町スクールバスの一般混乗(夕張郡栗山町)平成10年4月スクールバスの遊休時間帯に一般混乗。さらに中型バスをタクシー会社に運行委託。
  5. ぐらんぶる・しりべし号(後志支庁)平成11年にニセコバス(株)を運行主体として後志管内11町村との連携により、JR小樽駅とJRニセコ駅を発着点に積丹半島とニセコ山系の周囲観光地を回る4系統の運行。平成12年には、ニセコバス(株)、北海道中央バス(株)、道南バス(株)で後志管内18町村の観光地9系統に拡大運行。
都市圏交通分野
  1. 旭川環状線バス(旭川市)これまで中心部で乗り換えなければならないところを直接いけるよう平成11年11月の30日間、旭川電気軌道(株)・道北バス(株)の共同企業体に試験運行を委託。
  2. 循環バス[Ring(リング)](函館市)平成10年12月から新興住宅街とショッピング拠点を結ぶ循環線の試験運行。
  3. シャトルバス「LCSA(レクサ)100」(函館市)市立病院の移転に伴い平成12年10月から期間限定運行。
  4. バス路線フレッシュアップ計画(札幌市)北海道開発局及び札幌市で都市交通の円滑化、排気ガス抑制による環境への配慮、高齢化や様々な障害をもった人々の移動の確保を背景とし、バス利用促進を目的とした「バス路線フレッシュアップ計画」を平成12年8月に策定。
  5. くるりんバス(釧路市)(本文紹介)
  6. 「オーバス」(帯広市)規制緩和後の帯広市内のバス交通ネットワークのあり方を検討し、市内の公共・医療施設、大型店などを循環する3コースを設定し、十勝バス(株)・北海道拓殖バス(株)に運行委託。
全分野共通
  1. 総合交通情報提供システム(札幌市)これまで個別に提供されていた経路、ダイヤ、乗換などの情報を総合的に提供。インターネット、携帯端末、電子地図といった技術を活用し、パソコン・携帯電話により情報を画面表示。あわせてバスのリアルタイム運行情報も提供。
  2. 非接触式ICカードを活用した汎用電子乗車券(旭川市)利用者はカード読取装置にカードをかざすだけで運賃の支払いが可能。道北バス(株)は平成11年11月から旭川市内及び近隣地域の路線で実施。平成12年4月から定期券にも導入。なお、札幌市営地下鉄では平成11年11月から実証実験として実施。
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公営バスの撤退・縮小

北海道の公営バス事業は、昭和5年に札幌市営バスが走り始め、平成13年3月現在では札幌市営バス、函館市営バス、苫小牧市営バスの3市が公営事業として運営していた。

乗合バス事業は、公営・民営を問わず利用者が減少し事業経営の基礎が崩れていく中で、典型的な労働集約型産業として人件費の構成比率が高く、これが経営を左右する要因ともなっていた。

函館市は、平成3年に「函館市交通事業健全化計画」を策定したが、この計画が実質的に破綻し、新しい計画の策定に迫られた。平成10年1月に各界各層から18名の委員と公募による4名の委員で構成する委員会が発足し検討を始め、「市営バス事業は、できるだけ早く函館バス(株)に経営を一元化すべきである。なお、移管期間は3年程度とすることが望ましい。」との結論を得た。これを受け函館市は、平成12年3月に公共交通施策基本方針を定めた。

この方針では、「バス事業については、函館バス(株)との協議・移行確認を行う中で、できるだけ早く市営バス事業を段階的に函館バス(株)に移管し、経営主体の一元化を図り、健全な経営主体を構築するとともに、市民が利用しやすいバス事業の確立に努めることとする。なお、生活路線の維持やバス事業のサービス確保を図るため、調整機関の設置および支援方策について検討することとする。」とし、その実現には、市民・市議会、そして何よりも函館バス(株)と市交通局の両当事者、職員の全面的な理解と協力が不可欠であると強調した。公営バス事業の完全民営化は、道内では初めてのケースであり大きな関心を集めた。

函館バス(株)が提示した①函館市の資本参加による支援、②営業所、バス車両、カードシステムなどの初期投資に対する支援、③不採算路線の運行に伴う赤字分への支援の3条件について、函館市の井上博司市長は、受け入れられない条件はないとして平成13年度から段階的に移管する意向を示し事実上の合意に至り、同年11月に移管に関する基本協定書を締結した。平成13年4月1日、函館市営バスの一部が函館バス(株)に移管され始発バスの出発式が行われた。

市民・市議会・行政が一体となったこの完全民営化は、平成15年3月に全路線移管で互いに話し合い譲歩しながら、決着点を見出し円満な解決をしたことは、全国的にも公営バス事業民営化のモデルともなった。

札幌市でも市営バス民営化への序曲が急速に始っていた。

札幌市営バスは、平成11年に策定した経営健全化計画に基づいて、これまでに17路線の全部(北海道中央バス(株)に15路線、ジェイ・アール北海道バス(株)に2路線)と3路線の一部((株)じょうてつに2路線、ジェイ・アール北海道バス(株)に1路線)を移譲し63路線を46路線に縮小して、公営バス事業の民営化に先鞭をつけていた。

だが、札幌市営企業調査審議会は、乗合バス事業の規制緩和の実施を前に高コストの公営バス事業は限界に達したとの判断に立ち、平成13年11月20日に、市営バスの全面民間移譲などを盛り込んだ「市営交通事業のあり方に関する意見書」を札幌市の桂信雄市長に提出した。これを受けた札幌市は、平成13年12月に「交通事業改革プラン」を策定し平成15年度末に市営バス事業を廃止し、民間へ全面移行する方針を打ち出した。

12月21日の北海道新聞は、「札幌市は20日、赤字が続く市営バスの全面民営化を柱とする市営交通事業の改革プランをまとめ、労働組合に提案した。市営バス事業の廃止は政令都市では初めて。計画では平成14年度末に2営業所28路線、平成15年度末に同18路線を民間バス会社に移譲する。営業所の敷地、建物、バス車両は移譲先に売却予定で、北海道中央バス(株)、ジェイ・アール北海道バス(株)、(株)じょうてつの三社との協議に入る。」と報じた。

また、平成14年2月16日の道新は「労組、民営化受諾へ」、平成15年3月31日の読売新聞は「市営バス28路線最後の営業。あすから民間移行へ。」と報じた。

こうして札幌市営バスは、4月1日に完全民営化への第一弾を実施したが、この日は函館市営バスが函館バス(株)に完全に移管し60年の歴史に幕を閉じた日でもあった。

一方、苫小牧市営バスは、平成14年4月1日から管理の受委託制度を取り入れて全国的にもまれなケースとして民間委託を開始した。苫小牧市が策定した新経営健全化5カ年計画の一環で、全路線の半数を順次民間委託をしていく計画のもとに、平成14年度は8路線について道南バス(株)が委託を受け運行を開始した。

苫小牧市は民間委託の道を選択し、函館市と札幌市は漸次民間に移行して完全民営化の道を進むことになったが、戦後復興のため脆弱な民営交通に代わって公営交通が果たしてきた役割は終焉を迎えることとなった。

そして乗合バス事業は、規制緩和後の民営事業による新たな競争の時代へと移り変わることになった。

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合併・分社化と合理化への加速

日本経済の激動は、大手金融機関をはじめ大企業のドラスチックな合併や分社化が企業再建策として一般化するほどに、業界再編の渦潮を急速に広げていた。中小企業は勿論のこと大企業の倒産も意外性を感じさせないような時代となってきていた。

バス事業とて同じで、企業存続へ向けた闘いに終わりはなかった。

平成6年7月に「道南バス(株)」が「どうなん交通(株)」へ分社をしたが、平成10年12月には「北海道拓殖バス(株)」が「たくしょく交通(有)」へ、平成11年9月に「旭川電気軌道(株)」(乗合事業)が「(株)あさでん」へ、平成12年4月に「北海道中央バス(株)」が「中央観光バス(株)」へ、平成13年4月に「くしろバス(株)」が「(有)たんちょうバス」へそれぞれ分社した。

また、平成10年10月には「千歳相互観光バス(株)」が「新星札幌バス(株)」を合併したほか、平成10年12月には「北見バス(株)」が「北海道北見バス(株)」へ事業譲渡し、同年同月に「道北観光バス(株)」が「銀嶺バス(株)」へ、平成11年9月に「旭川電気軌道(株)」(貸切事業)が「(株)あさでん」へ、平成12年3月に「北海道旅客?道(株)」が「ジェイ・アール北海道バス(株)」へ、平成14年6月に「網走交通(株)」が「網走交通バス(株)」へ、平成15年2月に「三洋交通(株)」が「三洋観光バス(株)」へそれぞれ事業譲渡をしている。

このように企業の生き残りへの努力が続いているが、規制緩和による新規参入・撤退の原則自由化によって、貸切バス事業で新規参入が続出し、一方で、平成13年8月には「(株)テイネオリンピア」の貸切バス事業部門が廃止、平成14年3月に「道央観光バス(株)」が事業廃止のやむなきに至った。

また、平成14年3月には、「美鉄バス(株)」が法第21条の2により運行してきた24路線全線を美唄市に委ね、20年の歴史に幕を閉じた。

路線の撤退・統廃合は、各社の事業合理化のため止むを得ない選択ではあるが、地域にとっては重大なことであった。平成14年2月、ジェイ・アール北海道バス(株)は、赤字が続く石狩線(滝川―空知管内沼田町ほか)など石狩、空知、日高、十勝管内の4路線40系統(235キロ)を平成15年2月末で廃止することを決め、関係市町村が参加する各支庁生活交通確保対策協議会に伝えた。規制緩和後の道内バス業界で初の大規模な合理化であった。

空知、日高、十勝の各支庁生活交通確保対策協議会は、ジェイ・アール北海道バス(株)路線廃止後の代替交通確保方策等について協議を進めた。

この結果、岩見沢線は、北海道中央バス(株)の月形線の既存路線の変更及び新規路線での対応やスクールバスでの混乗と既存路線で対応するほか、一部を新篠津交通(株)が引き継いだ。長恵線は、長沼町営バスが引き受け、石狩線は、滝川―沼田駅間・滝川―浦臼駅間・滝川―砂川ターミナル間・浦臼―奈井江駅間をそれぞれ路線再編し、北海道中央バス(株)が引継ぎ、一部は浦臼町が直営により運行することになった。また、日勝線は、引き受けてがなく協議の結果、当面の間(3年間)に限定してジェイ・アール北海道バス(株)が運行することになった。各支庁の生活交通確保対策協議会では、引き受け手となるバス事業者を含め緊迫した協議を重ねていたが、懸念されていた地域の生活交通は、ギリギリのところで確保が図られた。

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運輸事業振興助成交付金制度の継続

運輸事業振興助成交付金制度は、既述したとおり昭和51年4月から制度化され、すでに四半世紀を越えていた。この間、この制度の継続をめぐっては、幾多の変遷と経過を経て、平成10年度の改正により適用期間が平成14年度までの5年間延長され今日に至っていた。平成14年度は、前述したように日本経済が激変している最中にあり、国の税制・財政ともに改革が求められた。このような環境にあって、軽油引取税の暫定税率とこれに伴う運輸事業振興助成交付金制度の継続が危惧された。

菊池正平会長は、北海道バス協会として行動すべき要請などに積極的に取組み、北海道運輸局長、北海道知事、自民党バス議員連盟幹事長の武部勤農林水産大臣、自民党税制調査会の町村信孝副会長、佐藤静雄国土交通省副大臣などに尽力方を要請した。また、10月12日の自民党政経セミナーに出席した閣僚・党役員に対し書面陳情も行った。

日本バス協会は、各都道府県のこうした支援援護を得ながら、自民党バス議員連盟や自民党税制調査会への働きかけを強力に行った。11月20日に開催された日本バス協会税制対策委員会は、自動車関係諸税の見直しと交付金制度の継続要望など、緊急に取り組むべき重要課題への対応策を纏めた。この会議において日本バス協会の西村泰彦理事長は、自民党の税制調査会の大綱ができるまでは安心できないと語り結束を呼びかけた。

また、国土交通省自動車交通局の石井健児大臣官房審議官が講演し、この中で、暫定税率が変わらなければ交付金制度は当然堅持されるべきであり、国土交通省としても交付金制度継続に向けて全力を挙げると強い決意を示した。

こうした様々な努力が効を奏し、運輸事業振興助成交付金制度は平成19年度までの5年間さらに延長されることになり、全国のバス協会は安堵の胸を撫で下ろした。

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協会組織の見直し

平成13年6月、道バス協会は定時総会の総意を受け、道バス協会の組織のあり方や協会の基盤強化方策等を検討するため、組織問題等検討特別委員会を設置し検討していくことになった。

7月25日に同委員会が設立され、菊池正平委員長(現:道バス協会会長)と出浦一誠副委員長が選任された。その後、組織問題等検討特別委員会は6回にわたる集中審議を経て、12月18日に答申骨子をまとめた。

その主なものは、①会費の減額について負担割合に不公平感が強い「均等割」会費を減額する試案を示したこと、②道バス協会と地区協会のあり方については、当面、地区の自主性を尊重するが、将来的には組織の一本化を目指しさらに検討することが望ましいとしたこと、③入会金については入会し易い環境づくりのため減額試案を示したこと等であった。

道バス協会はこの答申をうけて、平成14年度からこれを反映させる予算編成を行い、定時総会の承認を得た。これは、組織問題等検討特別委員会の答申に沿った協会組織の基盤強化と規制緩和時代に適応した活力ある協会運営を推進することを基本としたもので、道バス協会への加盟し易い環境整備を図るため、会費「均等割」は、乗合・貸切兼業者30万円を8万円に、専業者20万円を5万円に、それぞれ大幅な減額を行うこととした。また、入会金についても車両数毎による5万円から30万円の区分を一律3万円に改正し、これも大幅な減額を行った。

道バス協会は、これに対応するため各種経費の削減にも取組み、この中で常勤役員の報酬を5%カットするほか、特別会計へ常勤役員を1名シフト、更に平成15年度以降は常勤役員1名の減も明確にし、会費減額に対処する執行姿勢を示した。これによって、平成14年度一般会計の予算総額は13年度対比で18.4%の大幅な減額となった。

協会員の信頼と協力。最小の経費で最大の効果。厳しい時代を乗り切っていくためには、この言葉の重みをいま改めて噛み締めなければならない時であろう。

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