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第4章歴史的な大統合

目次

バス事業大統合への動き

戦時大統合の機運、いわば国権をもってする戦時リストラクチャリングの大波がバス事業に押し寄せていた。

バス事業の調整合理化については、すでに昭和14 年9月、ガソリンの消費規制に関連して鉄道省監督局長から地方長官あての通牒で「集約的経営により輸送力を補強するため資本または企業の合同をなすよう極力業者を指導督励するよう」指示が出ていた。国家動員法に基づく国民徴用令や物価統制令の出た年である。

統合が実現したのはそれから4年後の昭和18 (1943)年であったが、戦争を背景に、いわば強権による業界リストラがもたらした結果は重大なものであり、50余年後の今日も業界の基礎がここに根を置くことは否定できない。

日本乗合自動車協会「バス事業五十年史」も次のように述べている。 「このバス事業の統合こそ、バス事業界にとって忘れることのできない大きな事実であり、このとき統合されたバス事業者が、現在のバス事業界の基盤となっているものである。バス事業の発展には二つの大きな段階を経ており、その一は、昭和8年実施の最初の自動車交通事業法の実施であり、これにより弱小事業者の進出抑制とその整理への緒口を与えたことになる。その二は、この昭和18年における事業統合である」

以下、やや詳しくこの経緯を資料から拾ってみよう。

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事業者側からたたき台

昭和16年9月に設立された全国乗合自動車運送事業組合連合会(全乗連)は政府と業界の協力態勢を整えるための折衝、会議に追われたが、17年5月11 日に大阪で開かれた第1回通常総会では、政府が進めようとしていながら、なお成案を得ない統合に関して、事業者側から具体案を出して意見を申し述べることが提議された。

政府もこれを参考にすることを了承したので、地区ごとに検討を進めて、5月30日付で文書で具申された。北海道に関する部分は次のようになっていて、道内を7地区に分けて統合する案であった。 「去る5月25日、当組合において理事および統制委員会を開催し、乗合自動車運輸事業の統合問題につき慎重に種々協議せる結果、左記地区別の通り申し合わせ候条、北海道の地方的実情に対し、何分の御考察をたまわり、御省の御成案樹立の際は特に御高配あおぎたく、報告を兼ね御願い申し上げ候」

[記]北海道一円を左記の7地区に区分統合せんとす。

  1. 函館地方函館市、渡島、桧山一円、後志の一部(黒松内以南)
  2. 札幌地方札幌、小樽を中心とした寿都以北、厚田、美唄、夕張地方
  3. 旭川地方、旭川付近を中心に、留萌地方、天塩沿岸、名寄、稚内、枝幸、頓別地方、利尻、礼文を含む
  4. 室蘭、日高地方、室蘭、洞爺、登別、日高地方、金山線
  5. 十勝地方十勝一円
  6. 釧路、根室地方釧路、根室地方一円
  7. 北見地方野付牛、常呂、網走、紋別地方
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統合基本方針示される

昭和17年8月21日に至り、八田嘉明鉄道大臣から各地方長官に対し次の通達が出された。これがバス事業統合の基本方針であった。

[旅客自動車運輸事業統合に関する件]

第一統合の目標

現下激増せる交通需要に対処するには、輸送力、輸送施設の最高度活用を図り、刻下の事業難を打開し、適切にして重点的なる運営を実行するを要す。これがため、右要請に即応せる形態を急速に確立すること

第二統合地区
  1. 地方交通事情に即応する如く各道府県を一乃至数箇の交通圏に分ち、当該交通圏毎に事業の統合をなすこと。ただし、地方事情に依り、二以上の府県にまたがる交通圏の設置を妨げざること
  2. 交通系絡上必要あるときは路線の一部が他圏内の路線と競合するも妨げなきこと
第三統合の方法

各交通圏に於て、事業の基礎、運営の規模等より見て、最も適当なる事業を選定し、之を主体として事業の譲渡又は会社の合併を為さしむること。尚各交通圏に於ける統合主体の選定及び統合に当りては、左の諸点に留意すること

  • 公共団体の経営に係る事業にして、基礎、運営の規模等完備せるものあるときは、右公共団体を主体として統合するを得ること
  • 地方鉄道、軌道の経営に係る事業(兼営又は傍系を含む)にして、基礎、運営の規模等を完備せるものあるときは、右地方鉄道、軌道を主体として統合するを得ること
  • 適当なる主体を選定すること困難なるときは、関係業者を包括して新会社を設立するも妨げなきこと
  • 事業の評価は、別紙(基準要綱)を基礎として、実情に即したる決定をなすこと
  • 交通圏の設定及び統合体の選定は、右のほか別紙当省の指示を参考として、地方庁之が実行案を樹立すること
  • 実行案の樹立及びその具体的措置の決定に際しては、予め当省と緊密なる連絡を保つと共に、事業者の意向を反映せしむるごとく措置すること
  • 実行案樹立の際、従来事業経営を為し居らざる公共団体にして、組合の主体たらしむるを適当と認むるものあるときは、右をして統合せしむるも一方法なるに付予め当省と緊密なる連絡を採り、其の措置を進むること
第四新統合体の運営方針

統合目標に鑑み左の諸点に留意して新統合体の運営方針を樹立すること

  1. 運転系統、運行回数、運転時刻等を再検討し、交通需要の充足を期し、併せて車両、燃料、労力其の他の需要難を克服し得る如き事業計画を樹立すること
  2. 従来の雑多なる運賃制度を改正し、統一的なる適正賃率に依る運賃を設定すること
  3. 新統合体の事業計画決定に当りては、地方事情、鉄道軌道との関係を充分考慮すべきこと
  4. 新統合体の人的構成に就いては、努めて事業者の経験を尊重するよう措置すること

第五本統合は昭和18年3月末日迄に完了するを目途とすること

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佐藤栄作監督局長が訓示

この統合要綱について昭和17年9月25日に東京・上野精養軒で開かれた各府県バス事業組合の理事長会議で、要旨次のような訓示を行ったのは鉄道省佐藤栄作監督局長(のちの首相)であった。

「今次の大東亜戦争が勃発してから早くも10か月になんなんとしており、大東亜建設の聖業は着々とその歩を進めております。われわれ交通事業にたずさわるものにおいて戦時下その責務の重大なるを殊に痛感いたすのであります。輸送ということは大戦の完遂上からも、産業開発上からも、物資の輸送上あるいは経済活動の円滑を期する人的輸送ということのためにも欠くことのできぬ重大要素の一つであります。しかるにもかかわらず、現在各種交通機関は、輸送力不足による輸送難が叫ばれていることは大なるものがあり、事変前に比して倍加している旅客貨物の量に対し、資材その他輸送施設がこれに伴わない結果によるはやむを得ざる現象でありますが、業界の各位におかれても時局につき深い理解と認識を持たれ、政府に対し鞭撻協力を与えられた結果、従来の政策はおおむね所期の目的を達しつつあります。

今や戦局は赫々たる勝利の中にその緒戦を終え、一面建設、一面戦争の第二段階に入っております。今後交通機関に課せられたる使命たるや真に重大かつ大なるものがあり、陸運全輸送機関の能率を最高度に挙げて、もって輸送能力を総合かつ有機的に発揮する要がますます緊切となってきました。殊にバスによる旅客輸送は都市、地方を通じて、日常生活上国民の足としての重要性を持つものであり、国家幹線交通の補助的役割をなすに止まらず、国民大衆の日常交通機関として特に重要なる役割を担当しておるのであります。

しかるにバス事業は沿革的に見れば、所要資本が比較的低額なることと、時勢の要求により急速に発達したため、概括的にいえば小業者分立して、無統制なる経営をしておったのでありますが、支那事変の勃発以来、揮発油の強度の消費規正をはじめ、タイヤ、チューブ、蓄電池など何十種類にもわたる運転用資材は極度の逼迫を告げており、そのため走行キロの減少等によりはなはだしき輸送難を生じ、事業経営の面においても代燃化率の増大や、諸物価の値上がり等のため採算もはなはだしく悪化しております。

かかる事態に対して、鉄道省は、従来とも経営の合理化を極力慫慂し、必要かつ重要なる輸送の確保のために種々の措置をとって参りました。しかし、従来のような対策では不十分であり、事業そのものを再編成して、事業内容の充実、および事業形態の整備を図ることが必要となり、これら多数の事業を整理統合して、より一層合理的な経営のもとに、車両その他の設備を重点的に使用して、輸送力の増強を図ることがもっとも緊急なる事柄であるという結論に達し、通牒を発した次第であります。

われわれとしても、今回の措置がバス事業界にとり、真に画期的なるものであることに思いをいたし、かつ本統合が国民生活上、経済活動上、至大なる意義を有する点、ならびに関係業者にとり重大なる影響を与えるものなる点にかんがみまして、周到なる考慮を払い、十分な決意と責任をもって臨む考えでおります」

この訓示に続いて、監督局志鎌一之陸運第一課長が具体的方針を説明している。

統合体の新しい経営者の選定については「当方から統合主体の選定の際留意すべき点、その地区内においてどの事業者をよいと見るか、その地区のまとめ方につきモデルとでもいうものはどういうものかを地方庁に具体的に指示しました」と前置きしながら「その時期、方法等に対してはすべて地方庁に一任してあります」として「これは申し上げない」と具体案に触れることには周到に避けた。

そして統合に際して、事業の評価が問題になることに言及し「大正の末期あるいは昭和の初め、それから交通事業法施行の前後というような時に、いわゆる好景気時代にバスの譲渡が行われた。あのような生やさしい評価方法では今回はまいらないことは当然であります」と釘を刺して「多くの場合、事業者自体は新事業になんらかの形で参加してもらう場合が大部分のように考えます。したがって自分の事業を持ち切れないから、高く新会社に売り付けて逃げてしまうという方に対しては酷になるかも知れませんが、こういう方は少ないと思います。大部分は従前通り経営を続行してもらう。あるいは現物出資の形にして株で参加、あるいは資本で参加、あるいは譲渡されましても、その人自体は一地方の事務所長、主任として残られて、仕事を継続してもらう、あるいは直接間接に新事業に参画していただく。今回の統合はいやなものを無理に押し付けるようなことにもなるわけでありまして、おそらく統合の主体となられた方は迷惑千万であるという感じを当然持つと思います。また統合の客体となる方は父祖伝来の仕事を、他人の名前にしなければならん、実に忍び難いということももちろんあると思います。これらを押し切ってやらなければならぬ、またやります以上従来の事業計画のごときものであっては意味をなしません。そんなことをやるならば、あえて皆さんにこれだけ大きな犠牲をお願いし、また私どもも強行しないのであります」と強い姿勢を示している。

そのうえ「この犠牲あってこそ初めて大東亜戦争を勝ち抜くことができる。また将来、バス事業に花を咲かす基礎になるというようなこともあろうかと思っておりますので、たとえば命令を聞かなかったならばどうなるとか、またいかなる法律的根拠に基づいてやるのかというお考えの方がもしあるとすれば、これはあくまでも行政上の斡旋であり、法規上の強力性はもっておりません。しかし、漫然と反対せらるる向きがあるときは、陸運統制令を発動して実行いたす考えであります」と将来の展望にも触れながら、国権を背景とする硬軟自在の態度を明らかにしている。

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生みの悩み深く統合新社

こうしてバス業界始まって以来の大事業、大統合へ向けての動きに拍車がかかった。北海道乗合自動車運送事業組合はすでに北海道警察部および札幌鉄道局監督部と緊密に連絡をとりながら、その具体計画を進めていた。

その中心となって作業を進めたのは事業統制委員会で、すでに前記の道内7地区案を固めていたが、昭和17年7月6日の第3回会議では、統合を具体的に進める地区委員会の構成を札樽地区5名(のちに 6名)函館地区5名、室蘭地区3名(のちに4名)旭川地区5名(のちに7名)帯広地区5名(のちに 6名)釧路地区3名、北見地区5名とし、この地区委員の顔触れを7月15日までに選び、各地区ごとの統合体の結成は10月末の目処とすると、最終ゴールの期日を定めて、作業を急いだ。

道庁警察部の方針は、業界の事情に配慮して次のように柔軟なものであった。

交通圏の設定については行政区域を一応尊重するが、交通事情によってはこれにこだわらないで、地形、産業、経済などの諸条件を勘案して決める。統合主体の選定については、バス業界の組合内に設けられた事業統制委員会の意向を考慮して、関係業者を包括した新株式会社を設立する。地方鉄道軌道との関係については、その兼営するバス部門を分離して統合体に参加することとした。また公共団体の経営するものを統合することは事業運営上適当でないとして、これを除外することとした。

しかし実際の作業は困難を極めた。統合の範囲、休止路線の処置、営業権、資産評価など、多くの業者の利害が錯綜した。ようやく「北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱」と「企業整備実施細目」の決定をみたのは10月12日であった。

これに基づき、10月15日から29日まで、札幌、旭川、北見、釧路、帯広、函館、室蘭の7市でそれぞれ関係業者を招いて地区協議会が開かれた。この会議には北海道警察部の久保保安課長と組合の加藤幸吉専務理事らが出席して協議し、地区ごとの事業統合委員のうちの調査委員と評価員を選出した。こうして地区での調査活動があわただしく始まった。

前代未聞の統合計画だけに、資産・営業権の評価、資産の統合範囲、負債の整理などに関係業者の利害が入り乱れ、調整は難航した。またバス事業を兼営する地方鉄道軌業者の統合参加範囲の決定などに多くの日時を費やした。

生みの悩みの未、新会社の創立準備会は、北見地区の18年1月10日を皮切りに、2月7日札樽地区、同10日室蘭地区、3月5日十勝地区、同7日釧路地区と相次いで開催され、一応、鉄道大臣通達の18年 3月末というめどに間に合った。しかし、譲渡申請手続き書類の作成資料の取りまとめに日時を要して、18年中にバス事業の譲渡許可を得た新会社は北見地区と札樽地区だけで、他の5地区は翌19年にずれこんでしまった。

ともあれ苦難の調整作業の果て、ようやくバス業界かつてない大統合が実現した。この結果、昭和20 年1月1日現在の全道のバス業者は、次の民間7業者と、公営2業者となった。全道99を数えた業者が 9新社(他に運行休止業者4)に激減するという歴史的な出来事であった。

  1. 北海道中央乗合自動車株式会社(札樽地区)
  2. 函館乗合自動車株式会社(函館地区)
  3. 道南乗合自動車株式会社(室蘭地区)
  4. 道北乗合自動車株式会社(旭川地区)
  5. 帯広乗合自動車株式会社(十勝地区)
  6. 東邦交通株式会社(釧路地区)
  7. 北見乗合自動車株式会社(北見地区)
  8. 札幌市
  9. 函館市

(地区別表は次のページ以降に)

なお、バス業界同様、強制的に統合されたのものの一つに新聞がある。16年、政府は言論の統制のため統合、再編成に乗り出し、用紙供給を停止する非常手段をとった。このため地方紙は次々に廃刊を余儀なくされた。昭和初期、道内には約90社の新聞があったが、11社に整理された。さらに翌17年には1 県1紙の方針を指示され、11月、遂に「北海道新聞」 1社に統合となった。その母体となった「北海タイムス」「小樽新聞」などはライバル同士であったから、統合新社になっても人事面、作業面などでさまざまなきしみがしばらく残ったようである。

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運輸通信省創設、自動車行政を一本化

昭和18年秋、政府は深刻化する戦局に対処し、特に航空戦力と輸送力の増強のため企画院、商工省を廃止し、鉄道省、逓信省を改組し、新たに軍需省と運輸通信省を設置した。同時に業界関心の焦点であった自動車行政部門は、多年の要望に応えて自動車局として一本化され、ここに初めて自動車行政を総合的に統括する官庁が創設されたのであった。

19年1月、佐藤栄作自動車局長は「陸上小輸送部門においても、これが軍事生産を制約する大きな原因をなしておること、あるいは国民生活物資の輸送確保上の隘路(あいろ)である点、さらにまた一本の流れであるべき交通動員計画実施上の最弱点である点にかんがみ、各種悪条件を剔抉(てきけつ)して、おのおのその増強対策を緊急に実施し、戦力の確保を期することの要求が痛感されておるのである。輸送即生産であり輸送即戦力である今日、陸上輸送力の増強は一日もゆるがせにできない」と述べている。同年、自動車用燃料に関する権限、また代燃装置の生産に関する権限が軍需省から自動車局に移り、自動車局は名実ともに自動車に関する事項を専管する局となった。

この運輸通信省は総合行政機構として理想的な形とされたものの、その機構はあまりにも膨大で、運営は複雑を極め、急迫する戦局に即応できるさらに一元的な形態を必要とした。このため昭和20年5月 18日、運輸通信省は設置以来1年7カ月で運輸省と逓信院に分離した。

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地区別統合会社

ー、札樽地区

  名称 北海道中央乗合自動車株式会社

  所在地 小樽市稲穂町東3丁目29番地

  譲渡許可 昭和18年12月1日自第122号

  運輸開始 昭和19年1月27日

  資本金 1,350,000円

  役員 取締役社長杉江仙次郎、専務取締役加藤幸吉、常務取締役中田皎一、小熊豊治

■被統合業者(21業者、175台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
小樽市街自動車株式会社 杉江仙次郎 小樽市 75台
札幌自動車合資会社 加藤幸吉 札幌市 23台
札幌観光バス株式会社 村田不二三 札幌市 9台
小樽定山渓自動車道株式会社 地崎宇三郎 小樽市 5台
定山渓鉄道株式会社 金子元三郎 札幌市 5台
北海道鉄道株式会社 足立正 白石村 4台
合資会社山崎自動車店 山崎喜三郎 江別町 1台
原田自動車合名会社 宮本正美 厚田村 6台
後志自動車株式会社 田井直治 札幌市 2台
余市赤井川自動車合資会社 高橋千里 赤井川村 4台
余市臨港バス株式会社 久留宮新十郎 余市町 3台
滝川バス株式会社 中島長蔵 滝川町 6台
佐藤留吉   月形村 4台
美唄自動車運輸株式会社 新谷専太郎 美唄町 4台
前田喜三九   長沼村 4台
夕張バス株式会社 新谷専太郎 夕張町 7台
芦別合同自動車合資会社 川北惣吉 芦別町 3台
加地民次   妹背牛村 3台
沼田自動車合資会社 南忠夫 沼田村 2台
深川自動車合資会社 津田源衛 深川町 3台
五井録郎   妹背牛村 2台

(註〉定山渓鉄道株式会社はバス運行休止中のため車両のみを統合。

 

二、函館地区

  名称 函館乗合自動車株式会社

  所在地 函館市松風町8番地

  譲渡許可 昭和19年4月12日自監第778号

  運輸開始 昭和19年6月1日

  資本金 650,000円

  役員 取締役社長稲川広光、常務取締役池田栄蔵

■被統合業者(14業者、78台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
道南自動車株式会社 河合繁 函館市 8台
下海岸自動車株式会社 松岡力三 函館市 9台
藤野清治   函館市 3台
旭自動車株式会社 水本竜太郎 函館市 4台
臨港バス株式会社 小熊信一郎 函館市 8台
藤谷富三郎   大野村 2台
大檜乗合自動車株式会社 池田栄歳 大野村 4台
渡島交通合資会社 稲川広光 大野村 4台
マツマヘ自動車株式会社 鞠山儀平 木古内村 15台
八雲熊石自動車合資会社 尾山義広 八雲町 5台
大沼電鉄株式会社 今西次太郎 鹿部村 6台
渡島海岸鉄道株式会社 板谷順助 森町 5台
熊石自動車合資会社 佐野喜太郎 熊石村 2台
水上利四郎   東瀬棚村 3台
(註)道南電気軌道株式会社(水本竜太郎)は、函館市に買却方交渉中のため除外した。

 

三、室蘭地区

  名称 道南乗合自動車株式会社

  所 住 地 室蘭市千歳町69番地

  譲渡許可 昭和19年1月19日自監一第230号

  運輸開始 昭和19年2月1日

  資 本 金 1,250,000円

  役員 取締役社長徳中祐満、常務取締役山内多市、菅原一郎、田中国三郎

■被統合業者(11業者、103台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
登別温泉株式会社 栗林徳一 幌別村 10台
カルルス温泉自動車合資会社 日野昇 幌別村 2台
洞爺湖自動車株式会社 板谷順助 虻田町 10台
苫小牧自動車合資会社 森田侃次郎 苫小牧町 1台
日高自動車株式会社 西川岩次郎 浦河町 16台
日進自動車株式会社 菊地寅雄 平取村 3台
室蘭自動車株式会社 徳中祐満 室蘭市 48台
北富士自動車合資会社 田中国三郎 留寿都村 3台
合資会社喜京自動車商会 浅田要次郎 倶知安町 3台
後志温泉自動車合資会社 戸井校一 狩太村 3台
三国横断自動車合資会社 片岡次郎 南富良野村 4台
(註)早来軌道株式会社(小保方卯一)はバス運行休止中のため除外した。

 

四、旭川地区

  名称 道北乗合自動車株式会社

  所 在 地 旭川市2条4丁目右5号

  運輸許可 昭和19年9月8日

  運輸開始 昭和19年11月16日

  資 本 金 450,000円

  役員 取締役社長荒井考忠、専務取締役金森勝二

桑原栄
■被統合業者(22業者、104台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
旭川合同自動車合資会社 金森勝二 旭川市 4台
旭川電気軌道株式会社 安積一郎 旭川市 13台
中央乗合自動車株式会社 赤坂保一 永山村 4台
中央自動車合資会社 武田定男 名寄町 4台
中島国男   名寄町 4台
木村義久   士別町 2台
士別軌道株式会社 伊藤潔 士別町 3台
吉本千代市   富良野町 2台
林三二雄   稚内町 4台
合資会社鬼志別自動車運送社 末永清一 猿払村 2台
枝幸乗合自動車合資会社 河内羌 枝幸町 15台
利尻自動車株式会社 鬼脇村 5台
吉野久子   香深村 2台
武内伊作   留萌町 3台
福永熊之助   留萌町 2台
中田鶴吉   幌延村 2台
羽幌自動車合資会社 中田皎一 羽幌町 5台
山木秀雄   増毛町 2台
留萌自動車合資会社 竹内保一 小平蘂村 7台
層雲峡自動車合資会社 荒井寛三 上川村 8台
東神楽乗合自動車株式会社 赤坂保一 永山村 3台
旭川市街軌道株式会社 黒田岩吉 旭川市 8台
(註)士別軌道株式会社と旭川市街軌道株式会社はバス運行休止中のため車両のみ統合。

 

五、十勝地区

  名称 帯広乗合自動車株式会社

  所 在 地 帯広市西2条南11丁目9番地

  譲渡許可 昭和19年5月1日自監一第177号

  運輸開始 昭和19年10月1日

  資 本 金 350.000円

  役員 取締役社長野村文吉、専務取締役雨宮房一、常務取締役野村勝次郎、小泉和男、佐々木時光

 

■被統合業者(22業者、104台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
大印自動車合資会社 名畑仁太郎 帯広市 16台
十勝自動車合資会社 野村文吉 帯広市 16台
雨宮自動車株式会社 雨宮駒平 帯広市 3台
竹腰鉄世   芽室村 3台
中島国雄   幕別村 4台
小森守一   上士幌村 2台
糠内自動車株式会社 中田竹次郎 幕別村 3台
小泉和男   本別町 2台
佐々木時光   本別町 3台
北海道拓殖自動車合資会社 中木伊三郎 帯広市 5台

 

六、釧路地区

  名称 東邦交通株式会社

  所在地 釧路市末広町13丁目1番地

  譲渡許可 昭和19年2月26日自監一第1号

  運輸開始 昭和19年4月15日

  資本金 385,000円

  役員 取締役社長舘徳蔵、専務取締役伊藤秀雄、常務取締役今泉貞一、佐伯喜代志、常任監査役渡辺政治

 

■被統合業者(7業者、41台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
釧路自動車株式会社 舘徳蔵 釧路市 17台
合資会社畑江工業自動車部 今泉貞一 弟子屈村 9台
伊藤鉄次郎   舌辛村 8台
山田栄助   浜中村 3台
花井秀松   厚岸町 2台
札幌自動車合資会社 加藤幸吉 標津町 0台
美幌自動車合資会社 佐伯喜代志 美幌町 2台

 

七、北見地区

  名称 北見乗合自動車株式会社

  所在地 北見市大通り西6丁目874番地

  譲渡許可 昭和18年5月7日監第752号

  運輸開始 昭和18年5月28日

  資本金 350,000円

  役員 取締役社長中島権太郎、専務取締役多田倍三、常務取締役牧野吉六、常任監本役児玉篤

被統合業者(12業者、43台)
名称または氏名 代表者 所在地 車両
株式会社網走自動車商会 伊藤勇造 網走町 3台
竹内権平   小清水村 2台
横道彦吉   小清水村 2台
合資会社温根湯自動車会社 大江平吉 留辺蘂町 2 台
留辺蘂自動車株式会社 児玉篤 留辺蘂町 5台
野付牛自動車式株会社 中島権太朗 北見市 12台
山田吉朗   置戸市 2台
佐々木自動車合資会社 川崎咲松 紋別町 3台
遠軽自動車合資会社 多田倍三 遠軽町 3台
生田原自動車合資会社 多田倍三 生田原村 3台
湧別自動車合資会社 多田倍三 下湧別村 3台
丸瀬布自動合資会社 多田倍三 遠軽町 3台
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統合外の残存バス業者

業者名 地区 車両
旭川合同自動車合資会社 旭川市 4台
旭川電気軌道株式会社 旭川市 13台
(註)函館市は道南電気軌道株式会社を買収したもので、その譲渡許可は昭和18年10月29日。
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