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道央の観光スポット

開拓の歴史が織りあげた都市と産業の中核エリア


壮瞥町(昭和新山)

昭和18年(1943年)12月28日、有珠火山が明治43年(1910年)の爆発以来、 33年ぶりに活動を始め、付近の土地隆起が始まりました。

50数軒の家と広い麦畑が、毎日少しずつ盛り上がり、翌年の5月には50mほどの丘になりました。

そして6月23日、この麦畑の丘がついに大爆発を起こしました。

爆発は、10月まで17回もつづき、特に爆発が激しかったときには、岩石が1km四方にも飛び散り、裾野一帯の人々は、恐怖の毎日でした。

幸い、死傷者はありませんでした。

爆発の間も土地の隆起は続き、12月上旬、白煙を上げる火口の中央から真っ赤な溶岩塔が、ゆっくりと地上に押しあがってきました。

それは、1日に1mから1m半の速さで盛り上がりましたが、昭和20年(1945年)9月、ピタリと活動を停止したときには、周囲4.6km、標高406.9mの火山になっていました。

わずか1年9ヵ月の出来事でした。この昭和新山のように溶岩だけが固まってできた山は、現在、世界でも例がなく、昭和32年(1957年)、国の特別天然記念物に指定されています。

最近では、平成12年(2000年)3月31日午後1時すぎ、西側山麓で噴火し、噴煙は、約3200mにも達しました。現在では、噴火も終息し、西山火口群を新たな観光名所にしようと木道が一部完成、約100mの距離で水蒸気を上げる火口や被災した建物など火山噴火の教訓が学べるよう整備が行われています。